[日本]日本における反対活動の実態

目次

誰が被害を訴えたのか?

日本でも、過去、 チョン・ミョンソク牧師により暴行被害を受けたと公に主張した女性が数名いた。

しかし、そのうちの一人は「実は自分はそのような被害にあったことはないのだ」と近しい者に真相を打ち明けていたことが後に明らかになっている。本人は、はっきりと覚えているはずである。

にもかかわらず、自らが被害者であると訴える彼女にマスコミは反応した。そして彼女は、インターネットサイトや、 脱会屋と呼ばれる牧師、すでに「反カルト」活動をしていた学会・法曹界関係者らとの連携を通じ、積極的なアンチ活動を展開し、相談なども受け付けるようになった。

時には人々の前で「被害体験」を涙ながらに訴え、またある時は「監禁には反対だが、それしか(脱会させる)方法はない」といった発言をし、追い詰められた信者の家族もいた。実際に信者たちが「監禁」されている現場には何度も自ら足を運んだ。

また、別のある女性は、性的暴行の被害者として韓国法廷で証言をし、慰謝料を受け取っている。しかし彼女と行動の一部始終を共にしていた友人や、当時、近くで日常的に接していた複数名が、その証言の矛盾点を数多く指摘している。当初は被害者でなかったはずの彼女の言動が、ある時を境に急変した経緯については、こちらに書かれている。

あわせて読みたい
[日本]摂理で性被害を受けたという女性の記事の嘘と矛盾について(証言) 以下の証言に登場する、人物Aは、キリスト教福音宣教会(通称「摂理」)に一時所属したのち、摂理の反対者として、10年以上にわたって活動してきた人物である。 Aはさま...

ネガティブな情報の拡散と弊害

問題は、彼女たちの証言が虚偽であったにも関わらず、いったんマスコミや各種メディアによって報道されると、それらの情報がまるで事実であるかのようにひとり歩きし拡散することである。映像や活字に姿を変えた情報は、報道資料としてカルト性の根拠を示す材料となり、アンチ活動におけるカルトのレッテル貼りの切り札として繰り返し利用されるのである。

ある信者がチョン・ミョンソク牧師またはキリスト教福音宣教会をスキャンダルで訴え、負のイメージがメディアを通して広がり、ネガティブな世論を形成する。そして、そこにアンチ活動をする牧師や知識人といった第三者たちが加わり人々の不安と恐怖心を増幅させ、金銭的利害関係が生じるというこの構図は、韓国が直面したものと共通している。

韓国では女性が訴えを取り下げた

韓国では、かつて大々的な報道の火付け役となったSBSソウル放送に、悪意ある誤報を流したという理由で後に賠償命令が下った。

裁判でチョン・ミョンソク牧師を訴えていた女性のうちの1人は、良心宣言をし証言を翻した。法廷で証言を翻した場合、偽証罪で処罰される可能性があった。にもかかわらず「それでもかまわない。私はそのような被害を受けていない」と訴えを取り下げた。

しかし、煽情的な話題は瞬く間に広がり人々の興味を引くが、それに比べて、こうした事実はあまり注目されず、印象にも残らない。実際に、ここ数年の間にも、摂理に関するでっち上げ事件や誤報を流した韓国のマスコミ各社が、後日立て続けに訂正報道をした。けれど、人々の記憶にはよりマイナスのイメージが残り、片隅に小さく掲載される訂正報道など、韓国内はもとより日本でニュースになることはほぼないだろう。

監禁とは

最近、一部大学では、学生を呼び出して宗教や信仰についての尋問を行ったり、 外部「専門家」の指導のもと、学生には内密に家庭に連絡を入れ、脱会を促すといった事例がある。 そうした際に呪文のように唱えられるのが「マインドコントロール」という単語であり、「マインドコントロールされているので本人ひとりの意志では一生絶対に抜けられない。」と恐ろしげに語られるようだが、あり得ない話である。残念ながら、現在にいたるまで非常に多くの人が自分の意志で教会を去っている。

ところが、今もキリスト教牧師の指導による「監禁」は行われており、そうした指導をする牧師は全国各地に存在する。中国地方の監禁で有名な牧師は、ある時真情をこう吐露した。「私だってこんなことをしたくはありませんよ。でも、牧師だって食べていかなくちゃいけない。サラリーマンと一緒ですよ。」。

牧師が監禁(もしくは幇助)行為を生活の糧を得る目的で行っているのだろうか?しかし、彼らは周到にマニュアルまで作成して指導しているにもかかわらず、公には主体的な関与を決して認めない。一方、そのような牧師やカウンセラーのところに相談に行く人々の多くも、彼らに必ずしも全幅の信頼を置いているわけではない。高額な「謝礼金」を受け取るその姿を苦々しく思いながら 、それでも「カルトに入信してしまった家族を救うためには監禁しかない」と思い込ませる、それこそいわば強力な「マインドコントロール」にかかっているのかもしれない。

そもそも、いかなる場合においても、身体の自由を奪う「監禁」や、精神的圧迫を与える「強要」等、極限状態において信仰を剥奪する行為はしてはならないことである。 それは本質的な問題解決の方法にならないばかりか、本人だけでなく家族にも精神的・経済的にダメージを与えることになるからである。

目次